出版社:オーム社
発行日:昭和58年9月30日
私は明治二十九年十一月十日福島県いわき市に生まれ、今年十一月で満八十七歳となりますが、現在極めて健康にめぐまれており、ありがたいことと日々感謝の生活をしております。私が大正十三年に創業した赤見製作所は明年六十周年を迎えます。誠に感無量であります。私は高齢のため先年社長職を子息にゆずり、会長の閑職につきました。この機に私のすぎにし経路中に、新聞、雑誌等に寄稿した記録をひとまとめにして保存したいと思いたったのであります。私は大正の中期、齢二十歳の頃から少年文芸誌などに折にふれ小文を投稿して楽しんでおりました。昭和になってからは工業関係の雑誌や新聞に、随想や技術論を寄稿することが多くなりました。又、赤見製作所の月刊社報「煌星」には毎号執筆しておりました。それらの稿の全部保存が現在欠けており、手元にあるものと出版社に保存されてあるものとを採録して、そのうちから選んだものが、本書の内容であります。それらのほとんどが過去の物語であり、六十余年前から今日に至る推移で、その多くは現代の実勢にあわない骨董論であり、幼稚論でもあり、或は誤論となっておることをおそれておりますが、私としては過去の経路におけるその当時の自分の心境を顧みるのも楽しい存在なのであります。
最初の考えとしては、随想だけをまとめるつもりでありましたが、私が電気技術者であり、特に電熱技術が専門である関係で、これに関する無数の実施例のうちから独創的で極めて特異なもの数件を「技術論卿󠄁叢」として記しました。
この小編の刊行に当たり、オーム社元社長・現相談役田中剛三郎氏に厄介な編集上のとりまとめ、その他の尊い助言を賜わり、多大の御苦労をかけたことに対し深甚なる感謝の意を表します。
昭和五十八年八月 赤見 昌一
編者:日刊工業新聞編集局
発行日:昭和59年10月20日
最後の大病が五十歳のころ。カゼをこじらせたところが、血圧が百七十にも上がる。手がしびれ舌がもつれる。おまけに狭心症の症状が出る。二年がかりの治療であった。
その時のことである。つくづく、健康には心の平安が大切だなあ、と痛感したのは……。
奥武蔵に「高山不動」のやしろがある。成田、大山と並ぶ“関東三不動”の一つだ。ここに病気平癒のために参籠したわけだが、そのときに、しみじみ自然の美しさ、大きさに打たれた。以来、ここへの参拝は欠かさない。標高五百五十メートルほどもあるのだが、現在でもチャンスをつくっておまいりに行く。お不動さんの“相談役”にまつり上げられて、運営その他でも、いろいろなお世話をさせてもらっている。
この年になって、なおかつ、お不動さんにものぼる、駅の階段も苦にしないというと、いろいろな人から「どういう健康法をやっているんだ?」と、よく聞かれるが、基本的には、次のように考えている。
一、感謝の生活をする。神仏に感謝し、人に感謝し、自然に感謝する。
二、自然の様相、自然の原則に自分の生活様式を合わせる。
三、現代科学で是認され、しかも自分も納得できることには、忠実に従う。
これを私なりに“健康三則”と名付けて実践している。
株式会社赤見製作所 赤見 昌一 「健脚と心の平安」より
出版社:日刊工業新聞社
発行月:2005年10月
著者:大森 ひとみ
出版社:幻冬舎
発行月:2004年9月
編集:東京産業人クラブ
出版社: 日刊工業新聞社
発行月:1998年5月